桑田真澄 「こんな世界に入って、もう絶対無理だな」と愕然とした 数々の困難の乗り越えた方法


「桑田真澄」と聞いて思い浮かべるものは何だろうか。PL学園時代の甲子園での華々しい活躍や、胴上げ投手となった’94年の「10.8決戦」を思い起こすファンもいるだろう。

マウンドでの独特なルーティン。全力で打って守って走る姿。全盛期に経験した右肘手術。復帰のマウンドでプレートに肘をついて感謝する姿はあまりにも有名だ。

「ずっと野球をやってきて、中学から高校、高校からプロ野球と、ステージが上がるたびに挫折してきた」と桑田真澄氏は語る。卓越した投球でファンを魅了した右腕は、いかにして試練と向き合い、乗り越えてきたのか。現在はコーチとしてプロ野球に携わる桑田氏に、敢えて「試練」と「挑戦」をキーワードに話をスポーツメディア『METHOD(メソッド)』で語った。

インタビューに答える読売巨人軍・桑田コーチ

総合力で勝負すると決めた現役時代

──現役時代に直面した一番困難だった試練とは

ずっと野球をやってきたなかで、中学から高校、プロ野球へとステージが上がるたびに、レベルの違いを痛感して挫折してきました。例えばプロ野球選手になった時、高校で2回全国制覇しましたから、自分は当然活躍できると思っていたんです。

ところが巨人の投手陣を見ると、江川(卓)さんを筆頭に僕とは体つきから投げるボールまで全然違う。また対戦する相手も、落合さん、山本浩二さん、衣笠さん、バース、掛布さん、岡田さんなど錚々たるメンバーでした。

「これは大変な世界に入ってきたな」「こんな世界に入って、もう絶対無理だな」と愕然としたんです。でも、自分はこのまま消えていっていいのか、いやそうじゃないなと思い直したんです。 

そこで出した結論が、「自分らしく生きよう」ということでした。僕には江川さんのような大きな身体はない。球速もなければ消えるような魔球もない。じゃあ自分は何が秀でているのかと考えた時に、総合力で勝負するしかないと。

投手にとって総合力とはスピード、コントロール、投球術。そして投げるだけじゃなくて、守って打って走る。そういう要素を全て磨いて勝負するのが自分らしさではないかなと考えたんです。

それでも足りなかったので、気迫というか、昔の言葉で言うと気合や根性までプラスアルファすることにしました。こうした姿勢で戦っていこうと考えてから、道が開けてきたかなと思うんです。

METHOD(メソッド)」とは、日本代表監督や国内外で活躍するリーダーをはじめとしたスペシャリストの方式を配信する動画スポーツメディアである。トップアスリートの勝利の方式は、ビジネスマンや経営者も参考にできるメソッドが盛りだくさんだ。

桑田 真澄氏(くわた・ますみ)

1968年生まれ。PL学園で1年生からエースとして活躍し、甲子園5期連続出場、2回の優勝を果たす。甲子園通算20勝は戦後歴代1位。1986年に読売ジャイアンツにフォラフと1位指名で入団。通算174勝、沢村賞、最優秀選手、ベストナイン、最優秀防御率、最多奪三振など、投手としての主要タイトルを獲得している。2006年にメジャー挑戦を表明し、2007年にピッツバーグ・パイレーツでメジャー初登板。2008年に現役を引退する。現在は、野球評論家・解説者と並行して、「特定非営利活動法人アミーチ・デル・クオーレ」の理事長として、子供たちの野球育成や合理的な指導法の普及などに努める。日本野球機構(NPB)の特別アドバイザー、PL学園硬式野球部OB会長、現在は読売ジャイアンツ一軍投手チーフコーチを務めている。